現役の時に意識したこと~自分の経験を通して~

はじめに

 東京大学前期教養学部1年の黒田幹次郎です。私は長崎県立長崎東高校の出身で、1年間の浪人生活を経て東京大学文科3類に合格しました。
以下に私の高校生活並びに受験体験を記したいと思います。時期ごとのオススメの勉強法は、現役合格を果たした他の方のものが参考になると思うので、自分は別の視点から書いてみようと思います。ただし、初めに注意しておきたいのは「東大生が絶対ではない」ということです。私自身、紆余曲折を経て合格したわけで私のやったことがすべて正しいなんてことはありません。
高校生の皆さんには、以下の話のどこを活かして、どこを鼻で笑うかをぜひ決めてもらいたいです。

東京大学を目指した理由

 東京大学を志望するとはっきりと決めたのは、高校入学時でした。県立の中高一貫校に通っていた私は、中学3年の冬頃から自分の進路について考える機会に恵まれました。当時、将来に対する漠然とした不安を抱いたことを今でも覚えています。幸運にも志の高い仲間に恵まれ、また私自身も負けず嫌いな性格であったことから東京大学を志望校に据えました。進振り制度も1つの決め手ですが、思い返してみると、より高い環境で揉まれてみたい、というのが1番の理由だったように感じます。
文理選択は高校2年進級時に決定することになっていましたが、もともと文系に興味を持っていたことに加え、高校1年時に学習した現代社会の授業が非常に面白く、文系の選択を決めました。こうして私の志望校が東京大学文科に決定する運びとなりました。以降、科類のブレはあったものの一貫して東京大学を志望していました。

不合格に終わった理由と合格した理由

結果に対して何がどのくらい影響したのかを考えることは非常に難しいですが、私なりに不合格要因を挙げてみました。
①高校1,2年時の勉強量が少なかった
②高校3年時も「実質的な」勉強時間が少なかった
③得意科目に依存しすぎた
④危機感が行動に伴わなかった
枚挙にいとまがないですが、これらは合格には好ましくなかったと感じています。

①について
 字義通り、授業と最低限の課題をこなすのみでした。受験直前期に枯渇していた時間が、この時期に眠っていたと気づいたのは不合格判明後でした。
②について
 これが1番の反省かもしれません。自分ができることを確認するだけの勉強に終始してしまいました。苦手な科目から目を背け、やりたいことをやりたいようにしてしまいました。
③について
 ②とも関連しますが、自分は数学が好きでした。模試の結果も数学に左右されるといった感じで、苦手科目の英語は数学でカバーするつもりでした。結果、本番で難化した数学を打ち破るほどの圧倒的数学力もなく、英語は実力を遺憾なく発揮して低得点を叩き出したために儚く散りました。
④について
 模試の結果や高校の先生の激励などに危機感を煽られ、勉強意欲が湧きましたがここでも②や③に帰着する顛末でした。やってるフリをしていた、という表現が適切かもしれません。

不合格の要因を分析するというのはなかなか簡単なことではなく、世に出回っている受験指南書も大多数が成功体験に基づいているため、上述したものが皆さんのお役に立つのなら幸いです。私と同じ道を辿りつつある人は是非、舵を切って軌道を正してください。

合格要因は一点に尽きるかと思います。

・できない問題ができるようになった

 当たり前のことですが、これも簡単なことではありません。試験で問題を間違えた際、「なぜ自分は誤った答案を書いたのか」「問題文をどう読み、どう解こうとしたのか」「どの知識が抜けていたのか」「どうすれば類似した問題を正解できるか」など、振り返るべきことがたくさんあります。自明なのは、できない問題を放置したままでは絶対にできるようにはならない、ということです。
1番の敵は「分かったフリ」をする自分自身です。私は浪人期に苦手な英語を中心として分かったフリをすることを止め、結果として点数の伸びに繋がりました。これが合格を導いたのではないかと思っています。

おわりに 今回はt-Live講師としてこの文章を書いているので勉強の話しかしていませんが、高校生活は全力で楽しんでほしいと思います。現役合格は果たせなかったものの、テニス部で主将として高校3年の夏まで活動したことや友人とバカ騒ぎしたことなどは今でも良い思い出として脳裏に浮かびます。
 大学受験のための勉強は一心不乱に脇目もふらず取り組むものであることは確かですが、高校生活という括りで考えた時には、何かを優先して別の何かを諦めるというのは少し寂しいような気がします。高校生の皆さんには全てのことに全力で取り組んでほしいなと思います。二兎を追うものだけが二兎を得ることができるはずです。